1 : 12 しっぽがないなんて!

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宇宙人は地球人からのメッセージに興味を持つか

2013年 8月18日
記事ID e30818

「興味」や「心」は普遍的な概念だろうか?

空想の翼に乗せて

1970年代に地球から打ち上げられた惑星探査機の「パイオニア」や「ボイジャー」には、 宇宙人へのメッセージが積まれている。 金属板や黄金のレコードの形で。

GPN-2000-001621 - Pioneer F Plaque Location

遠い将来、宇宙のどこかで誰かが探査機を発見した場合に見てほしい…ということだろう。 その誰かが地球人とそう違わない生命体だとすれば、 絵を見て「地球人がだいだいどんな姿の生き物か」ということは理解するだろう。 「知性がある生物が宇宙の他のどこかにいるのだ」ということを察するだろう。 レコードの再生は不可能に近いが、 その星の学者たちは何世代にもわたって、情熱的に解読の努力を続けるだろう。

地球人からのメッセージの到来は、 彼らの文明の長い歴史において、最もエキサイティングな出来事となるかもしれない。 実際、逆に地球が異星からの探査機を発見する立場だったら、 地球人は非常に盛り上がるだろう。

心の理論

このような空想は面白いが、 その現実性に関しては、一つ重要な問題がある。 「宇宙人がどう考えるか分からない」ということだ。 上の議論では「地球人と似ていれば」とか「もし逆の立場だったら」と仮定しているが、 これは相手が地球人と似た心を持っていれば…という仮定だ。 そんな仮定が成り立つのだろうか。

第一歩として、似ているがもっと身近な問題を考えてみよう。 「猫は心を持っているか」

「猫は敵に遭遇すると、体を斜めにして毛を逆立ててしっぽを膨らませる。 それは自分を大きく見せて相手を威嚇いかくするためだ」という話を聞いたことがあるかもしれない。 毛を逆立てるのは、体を大きく見せるだけでなく、ヤマアラシの真似をしているのかもしれない。 相手が「ヤマアラシだったら攻撃しない方がいいぞ。あれは痛いからな」と敬遠して退却してくれれば、もうけもの。 孫子いわく、戦わずして勝つのが善の善。 やるだけやって損はない作戦だ。

この解釈だと、 猫はこう考えていることになる。 「大きい相手(わたし)を見た敵は『この相手を攻撃するのはやめよう』と考えるだろう。だからわたしは体を膨らませる」

「これこれこういう状況においては、相手は…と考えるだろう」という部分は、相手にも心があることを前提に、 その相手の心の動きを自分の心の中でシミュレートするものだ。 このようなシミュレーションが実際に行われていると仮定する場合、「猫は心の理論を持つ」という。

宇宙探査機のロマンチックな話も、 「自分が宇宙からメッセージを受け取る立場だったら興味を持つ。自分たちからのメッセージを受け取った宇宙人は興味を持つだろう。だからメッセージを送ろう」 という心の理論で成り立っている。

Derek C. Penn と Daniel J. Povinelli (2007)は、「人間以外の動物が、心の理論に類するものを持っている証拠は全くない」と指摘した[1]。

この指摘は、「動物に心がある」ということを直ちに否定するものではない。 ポイントは、「こういう実験でこういう結果が出たら動物には心がないと結論できる」という反証可能性が確立されない限り、動物に心があるかないかという議論を科学的に行うことはできない、というものだ。 「今回の実験では証明できなかったが、動物に心がないことが証明されたわけではない。動物にもきっと心があるはずで、もっと良い実験方法を考えればいつかはそれを証明できる」と言い続けているのでは、宗教的な疑似科学と変わらない。

実際、猫は相手の心を見越して体を斜めにしたり、高度な推論の結果ヤマアラシの真似をしたりしているわけではないだろう。 要するに、びっくりして、本能的に半歩後ずさっただけだろう。 「びっくり反射」のせいで結果的にでかく見えて、相手がびびる確率が増え、適者生存につながり、この行動が遺伝子に刻まれた猫が多数派になる。 人間は、暗黙に心の理論を用いて「体を大きく見せるために斜めになる」と説明する癖があるが、実際に起きていることとは必ずしも一致しない。 人間自身、動物を追い払うときに「しっしっ」などと言うが、 「この音を出すと、蛇と間違えてくれるかもしれない」などと推論しているのだろうか。

心が心というメカニズムを考察するときのバイアス

人間は心の理論を持ち、心の理論を用いて世界を見ているため、 ほぼ自動的に「自分以外のものには心がある」ということを受け入れてしまう。 「怒ったハチの大群に追いかけられて大変な目に遭った」などと平気で言う。 『ワシントンポスト』の2007年の記事によれば、 戦場の兵士たちにはハイテク・ロボット兵器に感情移入する傾向がみられ、 ムカデ型ロボットに地雷除去をさせるのは「非人間的」で耐えられないと感じる大佐もいる[2]。 文脈から切り離してこれだけ抜き出すと「変な大佐」に思えるかもしれないが、 人間の共感能力・擬人化能力の豊かさというのは本質的にこのようなものだ。

人間は「動物にも植物にも人形にも惑星そのものにも宇宙人にも心がある」といった考え方をすんなり受け入れる。 言語にもよるだろうが、自分の自動車や船を「彼女」と呼ぶのはごく一般的だ(「Fill her up」、「曲がってくれ、俺のハチロク」)。 言葉のあやとして、あるいはファンタジーの世界ではそれでいいとしても、 地球外生命体についてのしらふな議論においては、この点を問い直す必要がある。

第1に、「知性体には心がある」という前提を疑う必要がある。 第2に、「人間と同様の心がない生命体は人間より劣る」という自己中心的な思い込みを改め、 多様な可能性を考える必要がある。

心がなくても思いやり

心・自意識・共感能力。 地球においては、 人間だけが持ち、それ以外の生物は持たないとされる事柄。 人間は、それを「みずからの存在を特徴付ける重要な形質」であると思う。

同様に、宇宙では、 地球人が持っていない別の何かが決定的に大切とされているかもしれない。

心のモデルを持たない知性体が「自分は心を持っていない」ことに気付けないように、 ナニカのモデルを持たない地球人は「自分たちにはナニカが欠けている」ことを原理的に知ることができないのだとしたら?

猫が人間を見て、 「しっぽがないなんて、下等な生き物だなぁ。こいつら、どうやって方向転換するんだろう。 急に方向転換できない、とろい連中なんだな。 かわいそうに」と感じたとしても、人間はあまり気にしないだろう。 「しっぽなんか本質と関係ない。われわれには頭脳がある」と思うだろう。 同様に、人間が宇宙人について「心がないなんて…」と感じたとしても、 連中には意味のない指摘かもしれない。 心とは全く次元が異なる高度なナニカ(超意識?)の持ち主だったら、当然そう受け止める。

人間は「心がないのは悪いことだ・劣ったことだ・そんなことはあってはならない」と自己中心的に決め付ける傾向がある。 しかし、人間以外の生き物(猫や宇宙人)には「心がない」かもしれない。 心がなくても、 人間よりもっとデリケートで、もっと賢く、もっと思いやりがあるかもしれない。 賢い不服従をする盲導犬のように。 飼い主が病気で寝ているときの、あえかな猫のしっぽのように。 「気持ちを分かってくれない相手と友達になれるわけがない」と思い込んでいる人は、 この世の最も美しいものの一つに気付かない。

「思いやり」とは相手の心理状態を理解して尊重することだが、 同型の心をシミュレーターとする心の理論は、その方法の一つにすぎない。 最も原始的な方法と言っても良い。 人間型の心はあやふやで、予測精度にむらがある。 もっと高度で繊細なナニカの枠組みの中で、 あなたの気持ちをすみずみまで分かって尊重してくれる宇宙人がいたら、 むしろ他の人間より共感能力が高い「優しい相手」ということになる。

実際、 赤ちゃんの気持ちは「赤ちゃん同士」が一番良く分かりあえる、というのはある意味真実かもしれないが、 泣いている赤ちゃんを上手にあやす人は優しさに欠けるわけではない。 赤ちゃんの心は持っていなくても。

宇宙スパム

宇宙人が赤ちゃんのバブバブと同じレベルの「心」を持たず、 泣いている赤ちゃんとの交信に興味を示さないとしても仕方がないことだ。 人間から見て「付き合いの悪い・つまらない宇宙」かもしれないが、 その「つまらない」は、猫から見て「しっぽがないので人間はつまらない」のと同じような、筋違いの感想だ。

宇宙生物も、彼らにとって現実的な話題でさかんに情報交換しているのかもしれない。 だが、高度な文明を持つ宇宙人は、当然重要な情報を取捨選択する技術を持っているはずだ。 地球人のロマンを込めた探査機は、開封もされず、スパムフィルターでごみ箱行きかもしれない。

宇宙はジャンク・メールがいっぱい

File:Pioneer10-plaque.jpg 題名「お友達になりませんか?」
本文「わたしたちは性的二形の持ち主で…」
送信者「田舎星系・大字おおあざ地球@輪がある星の前を曲がって三つ目」

井の中の地球人

コンピュータ技術の発達によって、 人間と同じ「心」がなくても高度な演算・推論が行えることが明らかとなった。 ひらめきと創造性が豊かと称する人間の世界チャンピオンは、もはやチェスコンピュータにかなわない。 もちろんチェスコンピュータは人間の創造物なのだから、これは人間の「負け」ということではなく、別の意味での勝利だが…。 気負い、プライド、プレッシャーといった人間の心理は、むしろ最善手を指す妨げになっている。

人間は「人間の喜怒哀楽を失うのは悪いことだ・人間性の喪失だ」と考えるが、 その先にどんな深くて豊かな「ナニカ」があるのか、誰も知らない。 「しっぽを失って直立するなんて悪いことだ・サル性の喪失だ」と言うようなものだ。 確かに伝統的なサル性は失われるが、サルでないことは悪いことだと言い切れるか。 進化の流れの中で変化は必ず起こり、それは個体や社会の意思に左右されない。

人の気持ちは、 もともと危険を回避するために遺伝子レベルで組み込まれたインターフェースだ、と考えることもできる。 「このまま前進することは適切ではないと思われる。なぜなら、前方にはでかい蛇がいて、蛇に攻撃されると被害が発生することが予見可能だからであり、従って」などと悠長に大脳皮質で言語をもてあそぶより、《恐怖》と割り込みをかけて、一瞬でアドレナリン投入・心臓出力最大・酸素供給MAX・緊急逃走準備完了した方が、体の持ち主の生存確率が高い。

しかし、この緊急回路には問題もあって、《恐怖》の副作用で行動不能に陥ったり、冷静な判断ができずに行動を間違える可能性がある。 最悪、びっくりし過ぎてショック死する可能性すらある。 もし生理的反射と同じくらい(あるいはそれ以上)高速に、脳内緊急会議が召集され、沈着かつ合理的な行動が取れるのなら、《恐怖》という感情は必要ない。 むしろ《恐怖》を感じない方が確実に行動できる。 明らかに、「人間の心」は良い面ばかりでもない。 ネガティブな要素も多い。 ホモ・サピエンスはヒト科の最初の種ではないし、最後の種でもない。 進化の長い道のりの一点について「それが最終完成形でそこから逸脱することは間違いだ」と決め付けるのは間違っている。

しっぽがないなんて!

太陽系はごく普通の星系だ。 地球人がごく普通の生物である可能性は、そうでない可能性よりも高い。 言い換えると、地球人と似た心を持つ宇宙人もどこかにいるだろう。 しかし、地球人という一例しか検討していない状態では、結論の出しようがない。 「地球人と同じ姿の宇宙人があまりいないように、 地球人と同型の心の宇宙人はあまりいない」という予想も成り立つ。

本当の答えは、いろいろな地球外生命体と交流できる日まで分からない。 どの宇宙人も地球人と本質的に同じ心を持っていたら、それはそれで興味深いことで、 「心」の普遍性について大きな洞察を与えてくれる。 逆に、宇宙人の「心」が想像もつかないほど違っていたら、もちろん非常に興味深い。

実際には、宇宙人のほとんどは、地球人と同型の心を持っていないだろう(地球上でさえ、他の生物は人間と同型の心を持たないのだから)。 これは、地球人と宇宙人はあまり気持ちが通じないということで、 ある意味、寂しい話かもしれない。 しかし、 共有できるのは何も「感情」ばかりではない。 人間のような喜怒哀楽がなくても、 アルゴリズムの形式美や洗練された技術の素晴らしさ、 数学・物理の深い真理の驚異は分かち合えるのではないか。

地球上においてさえ、人類の文明の発達において決定的なブレークスルーをもたらしてきたのは、 往々にして、 情緒豊かでチャーミングな人間ではなく、 ボサボサの髪で研究室に閉じこもっているような、わけの分からない連中だ。 これは当たり前のことで、 ごく普通の興味を持つ人からは、どちらかといえば普通のものしか生まれないだろう。 普通と違う変なものが生まれるとしたら、たぶん「変な人」からだ。

宇宙人も地球人と同じでないから「価値がある」。 地球人と同じように考える相手と交信したいのなら、地球人同士で交信した方が手っ取り早い。 地球上だけでも、エキゾチックで驚異的な異文化はいくらでもあるはずだ。 どうせ宇宙人が存在するなら、想像もつかないほど地球人と違っている方が面白い。 上記のアナロジーが成り立つなら、 地球人にとって宇宙人は「変」だが、 それでも、革新的なエネルギー技術や科学技術をもたらしてくれるのなら、大歓迎だろう。

まあ、逆の立場を考えてみてほしい。

現在の人間社会で正常とされているあなたも、パラレルワールドにスリップした場合、 そちらでは変わり者になってしまう。 しっぽがないから…。

例えば、そちらでは人々はテレパシーで会話しているとしよう。 あなたは「話し掛けても反応しない変な人」と思われてしまう。

その社会では、誰もが「しっぽの理論」で考えるため、 「しっぽがない人なんているわけない。あなたは本当はしっぽを持っているけれど、それをうまく表現できないだけなのよ」などと甘ったるいことを言われ、 わけの分からない治療を強要される。 あなたの新しい友人たちは、「あきらめずに話しかけていればきっといつかは気持ちが通じる」と信じて、 毎日あなたにテレパシーでにこやかに挨拶するのだが、 あなたは自分が話し掛けられているということすら気付かない。

このパラレルワールドにはきっと「耳が不自由な人」のコミュニティーがあるだろうから、 あなたはそこに加わってテレパシーの代わりに「手話」を覚えればいい。 何とかやっていけそうだ。

けれど、別のパラレルワールドもあるかもしれない。 そこであなたが受ける治療というと、 毎日素数表を読み上げてもらい、 あなたの部屋の壁には、色分けした平方剰余・非剰余の表とか、 ガウス素数の地図のたぐいがいっぱい貼られる。 周囲の人は、そうしておけば、いつかはあなたにもしっぽが芽生えると信じているのだが、 あなたにすれば、何がなんだか意味も分からず迷惑なだけだ。

どうやらそのパラレルワールドでは、人々は素数を使って意思の疎通を図っているらしい。 その世界の人々は「人間なら素数にときめかないはずがない」などと言うが、 そんなのは本人の勝手で、ときめかない人がいたっていいではないか。 気持ちが分かってもらえず孤独で寂しいが、そちらでは誰も「心の理論」を持たず、「気持ち」という言葉もない。

話を現実に巻き戻せば、 そこには「人間には誰にでも心がある」という通念があり、 「ひとりぼっちはつまらないでしょう。一緒に遊んであげましょう」と甘ったるいことを言う連中が押し寄せ、 いつもほかの子たちに囲まれていればそのうち反応するだろう、と人々は信じるのだが…。

文字通りに人間社会の話なら、そういう考え方が生じる背景は理解できる。 それが多数派だからだ。 しかし、相手が宇宙人の場合、 「原理的には、地球から十分にたくさん通信を送り十分に長い時間待てば、必ず返事が来る」と言えるのかどうかすら分からない。

宇宙人は、《他の知性体と話をしたい》という気持ち自体を持たないかもしれず、 《気持ちを持つ》とは何のことなのか、それ自体を理解しないかもしれない。 心が未発達だからでなく、別の枠組みを使っているから。 あるいは別の次元に移行済みだから。

「知性体には心があるはずだ」と思い込むのは地球人の勝手だが、 宇宙人の方では「ナニカにはシッポがあるはずだ・シッポがないナニカなどいるはずがない」と想定しているかもしれない。

File:Sempervivum_arachnoideum_cobweb.jpg

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  1. 2013年8月18日: 初版公開
  2. 2013年8月22日: 画像 PioneerF.jpg (Pioneer F Plaque Location) 追加。
  3. 2013年9月30日: 関連記事へのリンク追加。

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