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なぜ自殺しちゃ、いけないの?

2001年 8月14日
記事ID d10814

生きるべきか死ぬべきか ―― それは大した問題じゃない。どっちだっていいことだ。

周囲の脳みそつるつるな人間たちは、自殺はいけないに決まってるだの、命は尊いだの、ご両親からもらったなんたらと、くだらんことをぬかすばかりで、話し相手になりゃしない。または、なんだか知識ばっかりの頭でっかちの人間が、いろいろ古来自殺とはうんぬんくんぬん倫理が宗教があーだこーだと、どーでもいいことをほざく。うせろ。

本当にせっぱつまったことのある者、本当のぎりぎりのぎりぎりを体験しつつある者、友だちがすぅっと消えてしまった経験のある者。そんなあなたにむけて語るのだ。

いいかい、本当のことを教えよう。

はっきりいうが、死ぬのは大した問題じゃないんだ。生きるのも大した問題じゃないんだ。もちろん、自殺するとしないとでは、まったくイコールじゃない。それは言うまでもない。でも生きると死ぬのって、どのくらい違うのかしら……。生きると死ぬとの違いは、大島弓子先生の「四月怪談」ふうにいえば、一束のれんげの違いだ。きみのために花をつんで走ってきてくれる「だれか」がいるといないとでは、たしかに大違いかもしれない。そこだ。“生命が尊い”から生きると死ぬが大違いなんじゃない。ひとたばの花なんだ。

わたしたちは知っている。花をつんで渡してあげるかわりに(←ひゆ的な意味だよ)、他人の悪口を言って、いい気分になっている愚かしい人々のことを。知っているどころか、そういう人々は少なくないだろう。きみのまわりにもいっぱいいるだろう。そして、きっと、きみは、傷つくだろう。だが相手は、そういうやつらだ。今ならリスカ、昔なら根性焼きなんてやってみせても、なんにも通じやしない(やっちゃいけないって意味じゃないよ。もちろん大々的におすすめするわけじゃないけど)。その馬鹿者たちは、そのバカさかげんをあなたが代わって「あがなって」いることに気づきすらしないんだ。

だがとにかく、余裕があるうちは、わたしたちは、だれだか知らないそこの相手のために、れんげをつんで渡してあげよう。99%の相手には意味など通じない。それでいいんだ。

自分の身近な人々も、すぅっと消えてゆく。つぎつぎと。このサイトの常連読者さんだった人のなかにも……。どうして「間違っていた」だの「罪」だの言えよう。前にもお話、したね。「フェアリーランド」のK・M(北原ミカ)は、小学時代、となりの席だったK・Mさんだ。

余裕がなく、どうしょうもなくせっぱつまってしまったときは、それが真実だってこともあるだろう。 ―― わたしたちとしては、“人生がつらいから”とか“生きる意味が分からないから”とか“いじめがつらいから”とか“親がイヤだから”といった、小さな理由で、一本の花ほどもの大きなことを選択することは、あまりおすすめできない。でも、大きな理由があれば、それは「理由のあること」だろう。

百円のスミレを買ってきて、どこか適当な場所に植えてみよう。ついて増えるかもしれないし、だめで枯れてしまうかもしれないよ……。毎日、話しかけて、いっしょうけんめい水をあげたりしてごらん。わたしたちの本当の友だちは百円のスミレだけだから。だって、きみも知っての通り、連中は、百円のスミレより役立たないからさ。花に話しかけるんだ。へん、通行人が見て笑っても気にするもんか、大量服薬したり、サンテグジュペリの本をかかえてビルの上から飛んでみたりするわたしたちじゃないか。そこらの人間が笑おうが泣こうが知ったことか。

いっしょうけんめい育てた百円のスミレが枯れてしまうなら……そんな重大で深刻な事態が人生に起きたらなら、きみは命をたつ権利がある(もちろん権利であって義務じゃないけど)。毎日、話しかけていた、たったひとりのお友だちが死んでしまったんだ。こんな悲しいことは、あるかい?

でもね、人間さんからいじめられるなんてのは理由にならない。人生がつらいだの受験がどうとかは理由にならない。学校なんて行かなければいい。つらければなまければいい。そういう意味での努力なんてどーでもいい。「学校なんかやめちゃって、デカダン酔いしれ暮らさないか」さ。親があほうなら、病院に逃げちまえ(ま、そこでまた、相性の悪いドクターにあたったら、さっさと変えることだね)。じんせーなんてどーにでもなる。この世は、おうへいに生きるんだ。陸奥A子先生の「こんべい荘のフランソワ」や「流れ星パラダイス」みたいに、さ。ホントに食えなくなったら、飢え死にすればいいんだ。それ以上でもそれ以下でもない。カンタンなことじゃん。

きみには自殺するけんりがある。だがくだらない人間のために、きみが「あがなう」ことは、ない。それは正しい選択じゃないぞ。きみがわざわざ身をもって「おしえて」あげなくたって、いいんだ。きみのおしえをこう価値なんてない相手だから。ましてや、「おまえがひどいことを言うから死んでやる」なんて、きたならしく跡を濁すな。 ―― わたしたちが清潔にすぅっと消えられる理由(わけ)は、百円のスミレ、悲鳴もなく切り倒されたやなぎ、湖に落ちた人形……。あほうな友だちのために、あるいは政治的抗議のために火だるまになるなんて、おすすめは、しない。でも、一本の花のためなら、いい。

すみれを育ててごらん(←これはひゆ的な意味だよ)。根づかずに枯れてしまうかもしれない。でも、毎日毎日、優しく声をかけていれば、花は、こたえてくれる。たとえ目に見えるスミレは失われても、きっと、その前に、きみはもっと不滅なものと出会うだろう。

生きるなら、一本の花のために生き、死ぬなら、一本の花のために。一本の花からすべてが学べる。「ナイフを持たせるナ」なんて頭のねじが百本も飛んでるような連中のことは放っておこう。ナイフは良くも悪くもない。それをにぎりしめる手の持ち主には「こころ」があるんだ。「こころ」があるんだ。どうして分からないんだろうね。こんなカンタンなことが。そう思わない?

そして、こころに余裕があるひとびとは、あなたが名づけられぬものの友であるのなら、出会った相手に、れんげをつんで渡してあげよう。生きるか死ぬかなんて、ひとたばのれんげだからだ。少なくとも、それと知りつつ、あなたのきたならしい劣等感を、周囲にぶつけるのは、やめるんだ。あなたからきたないものが流れ出るとしたら、それは、あなたがきたないからだ。きれいになるのはカンタンだ。「たんぽぽは、たんぽぽでいい」ってことなんだ。薔薇にも、ガーベラにも、カトレアにも、たんぽぽのまねは、できないでしょ?

だれにも真似のできない、まるで百円で3株も買えるスミレみたいに、それほどまでに、貴重なもの。

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